痒疹発症の発端と20年の闘病記。
32歳のころ、私は町立の保育所の調理員でした。 子どもたちに給食を作り、当時は保育室に入って一緒に食事をしなければならなかったり、ホールの掃除なんかも当番で回ってくるような時代でした。 栄養士の資格を持っている私は食品衛生などを学んでいたので、給食調理従事者が保育現場に入り万が一子どもから感染して保菌者になった場合、拡散元になってしまう可能性があるため食事なども専用の部屋でとるようにと勉強した覚えがあったので、なんだか腑に落ちない状態で仕事をしていた覚えがあります。 とはいえ、子どもたちの反応はかわいらしく、作ったものをおいしいおいしいと食べてくれるので毎日の仕事は楽しかったです。 そんな折、私はその職場でパワハラに合ってしまいます。 きっかけは、当時自分の子どもを預けている学童保育で父母会の会長をしていました。若い指導員の先生が辞めることになり、会長として引き留めるために話し合いの場を持ち、その話の中で仕事でいろんなことがあるのはどんな職場でもそうで、私の仕事もこういうことや、こういうこともあるけれども、でも、仕事とはそういうものではないか?と自分のことを事例にとりその若い指導員と話としたのです。 その話をした翌日、指導員は何を思ったのか学童保育の管轄である役場の福祉課に行き、私が職場の不平を言っていたと報告にいったのです。 その話をきいた課長はすぐに私の職場に電話をかけてきて、事実なのかを聞かれ指導員が辞めたいというので仕事とは何たるかを話すためにそういった話をしたと説明しました。話したけれどもそれは、学童保育の児童60人のためにその指導員にやめてほしくなかったからその一心からだと説明しました。 そして、その後指導員に連絡を取り 「なぜ、福祉課に言ってそのような話をしたのか理由を聞かせてほしい」 と言いました。 すると彼はまた「このような電話がかかってきた」と福祉課に舞い戻ったのです。 そして、翌日課長が現れ言われたのは「母ちゃんをしていればいいのであって、何をえらそうに」といったようなことを言われました。 当時学童を運営していくのは父母会です。60人の子どもたちがいるということはその親もいます。親と先生の間を取り持ち、福祉課管轄なので交渉事にもいかなくてはいけません。そんな、えらそうとかえらそうじゃないとかじゃなく会...